「自在の書」(その5)

第一章  こころの葛藤 

#4
自らの問いとは何ですか

⇒すべては因果に関することです。身の回りに起きることもそうですが、時事関連の情報などもそうです。例えば何故、無差別殺人が起きるのか、何故あんなに良い人があのような事件を起こすのかなど、この現世は矛盾、不条理の世界です。そのためにも因果を理解しなければならないのです。大体の場合、不条理や矛盾とは己の我によるものです。分相応に理解をしなければただの傲慢になります。

例えば100人の困っているひとと、ひとりの困っているひとがいます。
あなたはどちらを助けますか?と、脳からの問いかけに対してこころはひとりのひとを助ける、と答えます。もちろん数の大切さはわかりますが、わたしには100人のひとを助けるチカラはありませんし、いまはひとりのひとを助けることさえできるかどうかです。このように自らを見つめて、いま自分ができることをしてください。

それぞれに役割があります。傲慢であればあるほどに自分は特別と言わんばかりに、神さまのチカラがあるから大丈夫などといろいろな理由付けをして100人を助けると言うのです。それならば1000人のひと、万人のひとを助けてもらいましょう。でもそれよりももっと大切なことは、ひとりがひとりを助け、その結果として100人が100人を助けた方がどれだけ価値があることでしょうか。そのように努力をすることがわれわれには必要なのです。

「自在の書」(その4)

第一章  こころの葛藤 

#3
神さまからの言葉を聞いたのでしょうか

⇒脳とこころが葛藤する言葉です。自らの脳の考えに対するこころの言葉です。脳の考えは常にあなたを試していると言ってもよいでしょう。誰にもこころの声があります。そのこころの声を大切にしてください。またはさまざまなサインを通して気づくことも多々あります。そのサインに気づき、素直に受け入れてみてください。例えそのサインを間違った考えで受け入れてしまうこともありますがそれはあなたを守る神さまがしっかりと修正してくれます。

「自在の書」(その2)

第一章  こころの葛藤 

♯1
大切なひとが傷つけられたらどうしたらよいか、我慢をすればよいのでしょうか

⇒そのように考えることがあなたの因果です。傷つけられるひとが大切なひとであればあるほどにあなたの因果の大きさがわかります。一方でその因果を理解して乗り越えているひとにはそもそもそのような事は起きません。

ここで理解をしてほしいのは傷つけられたのはあなたの大切なひとであって、あなたではありません。つまりこれは傷つけられたひと自身の因果です。そしてその結果を受けてあなたに生じる憎しみの感情こそがあなたの因果です。「理(ことわり)の書」でもあるように己自身に憎しみの感情があるからこそ同じことの報いを受けているのです。あなたにその憎しみの因果がなければそのような状況にはなりません。原因があっての結果です。それぞれ個々の因果でありこれらを混同しないようにしてください。そしてあなたのせいで大切なひとが傷つけられたわけでもありません。

これもよくある話ですが、あなたには先祖の因縁が・・・と血縁関係の因果を指摘するかたがおりますが、大抵は偽りで、ひとを不安にさせて金品を騙し取る輩です。たとえもしそれが本当だとしてもそれは因果ではありません。単なるメッセージです。決してあなたの因果の罪ではないので惑わされないようにしてください。因果とはあなたの感情が創り出したもので、あなた自身で解決をするものです。決して他人(ご先祖さま)の因果を背負うものでは絶対にありません。

「自在の書」(その1)

中央に右手に錫杖を持ち念ずる修験者、その奥に口と目を見開く不動明王様、修験者の頭上に龍神さま
まえがき

この書は「理(ことわり)の書」よりも、もう少し因果について人間らしく泥臭い内容となっています。常世のお話をする前にまだ現世の何たるかをお知らせできればとの思いで書き綴りました。

そしてこのタイトルにある「自在」とは「意志のある」という意味です。それは「自分らしさ」にも通じる言葉であり、ものの見かた、考えかた、感じかたはひとそれぞれにあるものとしています。

ただ「自分らしさ」とは、簡単には見つかるものではありません。ましてや「意志」や「こころざし」など、そんなに簡単には決められるものでもありません。ではどうすればよいのでしょうか。

例えばあなたの好きなことは何でしょうか、興味が惹かれることや、夢中になれるのはどんなことでしょうか。ここからヒントなどを見出してみることもひとつです。または神道から入っても、仏教から入っても、西洋の数ある偉人たちの考え方を参考にするのもよいでしょう。

わたくしごとですが20代の頃にひとの薦めでアルベルト・カミュの「シーシュポスの神話」を読みましたが、その時は何度読んでもわかりませんでした。ただ30年後のいま、不条理という言葉の意味をやっと解りかけているのです。数ある哲学書があるにも関わらず何故かその分野ではこの本のしか読んでおりませんでした。これもつながりなのでしょうか。

もちろんあなたが共感・共鳴するひとの考えかたから入ってもよいです。一番大切なのはあなたが楽しくなるような考えかたです。あなたの身の回りにそれは必ずあります。あなたが気づかないだけなのです。

常にそのことを意識してみてください。その意識さえしっかりと持っていればあとはあなたを守る神さまが自然とあなたに合わせて導いてくれます。あなたが楽しくなる考え方です。これを忘れないでください。あなたの「信念」や「こころざし」が見つかるためのお役に立てればとの思いです。

この後に続く本文に記載をされていることは現世だけでなく常世にも通じる「意志」、「こころざし」が大切であることも綴っています。何度も伝えていますが手段・方法は違えども辿り着く場所はみな同じです。

これより先、特に「こころの葛藤」は長い文章もあれば短編で終わるものもあります。約一か月にわたり記載をしてゆきますのでご覧ください。


~目 次~

まえがき

第一章  こころの葛藤

第二章  身体の衰え

第三章  因果の苦悩

第四章 因果の本質

第五章 意志と因果

あとがき

番外編(その2)

明日の6月16日より

「理(ことわり)の書」に続く

「自在の書」を

記してゆきます

「はじまりの書」の前に

もう少し因果について

お知らせできれば

との思いです

こちらは約一か月間続く

内容となっています

主はこころの葛藤です

そのために

それほど長編ばかりでなく

短編でも記載されている

ものがあります

どうぞみなさまの

お役に立てればとの思いです