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- 第三章 因果の原因
「われわれはいつから己を捨てたのでしょうか」
われわれが脳で考える思考は長きに渡る時を経てさまざまな因果を生み出してきました。
己れとはこころを指し、その己を捨てるとは脳で考えている我の強さや欲深さにより神性なるこころを忘れてしまうこと、または見失っていることです。脳で考えている我の強さ、欲の深さは都合よくこころに言い聞かせて上書きをしてしまっているのです。
よく「こころがないひと」と言われるのは思いやり、やさしさがないことを指しますがこれは神さまがこころにいないことを現わしている表現です。こころがないとは神さまに気づいていないということです。
ひとはこころを成長させるために感情があり、欲があるのです。だからひとの感情があらゆるものを創り出すこの現世では戦争があって当たり前、貧富の差、どんな事件・事故があってもあなたのこころを成長させてくれるのです。善も悪も天国も地獄もひとの感情が作り出した想像でしかりません。
伝え方を変えれば因果とはひとの我の強さ、欲深さから創られるのです。これが因果の原因です。そしてひとつひとつの因果を越えるえることがこころの成長です。
この現世はわれわれのこころの成長のためにある因果の世界。脳で考える我の強さや欲深さから生まれる感情を背負いながら、こころの成長を遂げようとしています。ひとそれぞれに因果があります。因果のないひとは存在しません。裕福な方たちの因果と貧困の方たちの因果は環境が違うだけで原因となる強欲は同じです。その欲を何としても手に入れたいがために、ひとの身体やこころを傷つけることが因果となって現れるのです。
「因果とはひとの我の強さ、欲深さの感情によって生まれます」
脳はひとの身体の一部です。こころはひとに宿るエネルギー体です。精神エネルギーと言ってもよいでしょう。因みに精神とは「純粋なこころ」であることを指します。こころとは神さまのことです。そのこころの成長次第では神さまにもなるし我の強さや欲深さに侵食され邪念のエネルギー体ともなるのです。
そしてこの憎しみ、妬みなどの邪念のエネルギー体同士が引き寄せ合い悪と呼ばれるエネルギー体を作る根源ともなります。そして悪があるからこそ、その比較として善が存在するのです。この脳は比較対象の言葉(イメージ)を創り出しそれを利用して脳が都合の良いように考えます。本来のこころは善も悪もその概念はありません。こころのあり様は自然のままです。
前述にもありましたが脳は基本的には楽なことや、欲望を満たすことを考えます。生きるために必要なこととしてある程度のことであれば欲は生きるための活力となり大切なことです。これは欲というよりも本能に近いものです。
善悪などを含め比較対象とする言葉はひとの感情より創りだされた都合の良い感情の言葉でしかないのです。
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