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良いことを
叶えたいのであれば
まずは想うことから
はじめてください
次に言葉で
発するようにしてください
言葉に発した次には
行動をしてください
そして行動の次には
より多くの
ひとに伝えてください
この繰り返しです
神社参拝で
空を見上げて
雲ひとつない晴天の時
風が吹いてそばに
いることを教えてくれます
そして風を感じるだけでなく
木々が揺れ
葉が重なり合う音も
そばにいることを教えてくれます
雨が降ることもそう
雨が止むこともそう
神さまが自然を通して
語りかけてくれています
お話をしてみてください
前述でも伝えましが
もともとひとは
互いに受け入れ合うこと
(心が通じ合うこと)を
望んでいます
それは動物でも
何でも自然にあるもの全てです
ただ我の強さが
それを邪魔します
どんなに憎まれようとも
避けられようとも
生きとし生けるもの
すべてを
受け入れてください。
ひとのこころは
神社に捧げる
水鏡(みずかがみ)
とおなじです
ただひとは
本心とはうらはらに
口を開いては揺れ動くものです
だから祝詞や真言を唱えて
穢れを祓うのです
- ひとは誰しも
こころの底では
誰かと
つながることを
望んでいます
ただ邪念が
多い現世では
なかなかそれが
難しいのです
できればその前に
あなたを守る
神さまと
つながるように
してください
劣等感のあるひとほど
ひとに認められるために
怒りやすく
攻撃的です
そのため
承認欲求は
絶えません
その発言に
間違いはありませんが
ただ考え方の
違いなだけです
それを避けるから
その身に降りかかるのです
ひとが悩むのは
他人と比較して
自分のことばかりを
考えて悩んでいます
その解決とは
自分のことばかりでなく
ひとのことを
考えてみることです
ひとのために何かを
してあげることで
少しずつ
悩みがなくなってゆきます
- 明日からまた日々の
ブログに戻ります
過去に
書き綴ったものなど
時系列はランダムです
決していまの
想いだけではありません
あくまでも
理の書が
最新版であり
つぎの「はじまりの書」を
いま書き溜めています
- はじまりの書 この続きはまだ書き綴っている途中です。またできましたらみなさまにお伝えいたします
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予告編
「わたしを守るみなさまに感謝の気持ちを伝えます」
辛い思い出
いくつあったのだろう
楽しかった思い出
どれくらいあったのかな
きっとこの身が滅ぶ時に気付くのでしょう
やはり辛い思い出のほうが
多かったのかもしれない
でも生きてきてよかったと
思うのは何故だろう
それは辛かったことが納得できたから
その理由がわかったから
瞬きひとつの人生
そんなに悪くはなかった
同じ想いをするひとは
どれくらいいるのだろうか
たくさんいるといいな
つぎに生まれてくるときも
そうでありたい
ただその時にはあなたのように
ひとを守る役割りとして
あなたがわたしにたくさんの
してくれたことを
今度はわたしが守るひとと
一緒に乗り越えて行きたいな
そのひとはわたしに
気づいてくれるかな・・・
つながりとは
こうゆうことも
伝えているのでしょう
ひとにこころから幸せだと
感じてもらうこと
そして神さまをも喜ばせるとは
そうゆうことですよね
いま神さまは喜んでくれているかな
もちろんわたしは幸せでしたよ
たくさんのこと
教えてくれてありがとうございます
みなさまもこの気持ちに
気づいてくれたなら
もっとたくさんのひとが幸せに
満ち溢れたた世界となるのかな
あとすこし・・・
まだ やり残したことがあります
つぎのひとたちにこの想い
伝えてゆかなければなりません
あともうすこしかな・・・
これが常世に向かうための
はじまりです
- あとがき
われわれの生きる様とは
「正しい教えを学び(道)、正しい方向性を導き、正しく生きてゆくこと」です。
ここにある「正しい」とは自分らしいという意味です。この自分らしさが見つかるまでは多くの書物に記されていることに準じた考えでもよいでしょう。
わたしの生きる様とは
「因果を知り、信念・志を掲げ、真っ直ぐに貫いて生きてゆきます」としています。
わたしの信念は
「すべての生きとし生けるものが幸せに満ち触れた世界となることに
チカラを尽くします」としています。
わたしが常に意識をしていることは
「ものの見かた、感じかた、考えかた」です。
この身体にも大分無理をさせてきましたが感謝の気持ちしかありません。わたしの道はまだまだ途中なのでこれからも探求してゆきます。そしてこれまで以上にみなさまのお役にたてればとの思いです。決して見返りを求めるものではありません。
ここに至るべくわたしの過去をみなさまにお伝えいたします。
わたしは1965年生まれで幼い頃よりわたしの実家には神棚(龍神さま)と仏壇があり、子どもの頃から母親が毎日のようにお水をあげていたのを目の当たりにしていました。高校生の頃にある時にふとこれだけ毎日神さま、仏さまにお水をあげていればその神さま、仏さまたちはきっとうれしいだろうと思っていました。
そうして二十歳を過ぎた頃から毎年の初詣はわたしなりの感謝の気持ちとして神棚の元となる神社への参拝を毎年欠かさずに行くようになりました。しばらくはお願い事ばかりをしていたものですが、ただ何かに守られているという感覚や思いは段々と強く感じるようになりました。そして神さまを信じていれば良いことも悪いことも起きないが良いことを起こしたくば自らが努力をしなければならいという考えをもっていました。マンション住まいに代わっても部屋には神棚は設置をしてお水は上げていました。またある時にはとても叱られたと感ずることもありました。
時を経て2018年7月に仕事の部署が変わり少し時間を作れるようになったので以前より興味があった場所(毎年初詣に行っている神社の遷宮前の場所)へ参拝をすることができました。その場所に赴いて参拝後に境内を降りた所で無意識にふと空の写真を撮りました。もちろんこれまでに空の写真など一度も撮ったことはありません。翌日には戸隠神社にも参拝をし、その時にも無意識の内に写真を何枚か撮っていました。
そうして一週間ほど経った頃でしょうか、両日に撮った写真を見返してみればそこには龍神さまのお姿が現れていることに気づきました。とても驚いたのですが同時に涙が溢れて止まりませんでした。これまで良いことよりもむしろその逆のことを多くしてきたにも関わらず、それでも見放さずに守ってきてくれたことに対して、何度か事故で死の直前までを経験してきたことや、数々の身体の不調にも遭いながらも、いまが健康であることに対して、すべてを助けてきてくれたことへの感謝の気持ちで涙が溢れ出て止まりませんでした。それからというもの休日には神社・仏閣を巡るようになり多少なりとも祝詞や真言も覚えるようになりました。
そして2019年にはただ神さま、龍神さまの近くに行きたくてさまざまな霊山の山頂にある奥宮を目指して登拝(山登り)をするようにもなりました。もちろん登山など初めてです。山頂までの道のりは大変な思いもしましたが同時に自然から多くのことを学びました。毎回ひとりでの行動なのである時は登拝時に霧と大雨で復路がわからずに遭難しそうにもなりましたが雨水の流れに沿って進めばよいと感じて無事に下山をすることができました。また日の出に合わせて朝の4時頃の真っ暗な闇の中で懐中電灯を照らしながら登拝をしたことも幾度もありますが不思議と怖いと思うことはありませんでした。
わたしは神道と仏教に興味を持ち神社・仏閣を参拝しながら登拝もするようになったことで山岳信仰にある神仏習合の考えが馴染むようです。また偶然ですが行く先々の神社・仏閣が役小角さまゆかりの場所であったことなどもその理由のひとつです。2020年もいろいろと登拝したい山が数々あるのですが社会情勢がひっ迫をしている中で無理はせずにとりあえずはおとなしくしています。でもその代わりにこの書をみなさんにお伝えすることができるようにもなりました。
いまは別段お金にも興味ありませんし生きてゆける分があればそれでよいです。ただお金に多少の余裕があるのは構いませんが、強欲だけはダメです。またこのブログも本文に集中してもらいたく広告が苦手で有料で自分のお金を出して掲載をしています。そして普通に仕事もしています。
私自身もそうですがスピリチュアルという分野がよくわからなくても、われわれは生きている中で精神世界について多少なりとも疑問を感じることがあるはずです。これを私なりの経験で得た理(ことわり)についてどこか一節でもよいのでみなさまのお役にたてればとの思いで書き綴りました。
現世・常世・神さま・因果など、いきなり突拍子もない言葉がでてきてはじめての方はよくわからないことも多々あるかと思います。ただインスタやブログを通してこの書を知った方は少なくともこうした分野に対してそれなりに興味があるものと思っています。何度か読み返しているうちにわかることもあるはずなので長い目でご理解をください。わからなければブログからでもインスタDMからでも質問をしていただいても構いません。
最後に何度も伝えているようにみなさまにはみなさまの理(ことわり)があってよいのです。ただそれが見つかるまでにこんな考え方もあるのかとしてお役に立てればとの思いです。
みなさまにとって大切なお時間をいただきましてありがとうございます。
2020年5月吉日
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