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- 本来なら
神さまに
名前すら
ないのかもしれません
この現世では
名前をつけることで
体系的に
理解しやすく
しているだけ
なのかもしれません
- 史実に基づいた
神さまが例え
創られたものとしても
言霊として
その名前には
依り代として
神さまが宿り
こころが宿るものです
- 『道を求める』
というのは
自身の『こころの成長』と
ともに教えてくれます
神さまは
いつもそのサインを
送り続けているのです
このブログを見ていることも
その証です
- 古来よりある
『神道』とは
『答えを教える』
ものではなく
『道を求めるもの』です
だから
神さまに
答えを求めるのは
間違いで
道しるべは
教えてくれても
自分なりの答えは
自分で
見つけなければなりません
ひとそれぞれに
その時の
こころの成長に合わせた
答えがあるのです
- われわれは
ひとの良い部分
闇の部分の
すべてを
持ち合わせています
すべては
同じ感情を
みなが
もっているのです
それなのに
この違いは
何なのでしょうか
- あなたは
障がいのある方を
見てどのように
感じますか
決して「かわいそうに」などと
思わないでください
それがあなたの
「我」です
あなたに教えを
説いていることを
学んでください
- 脳は常に楽を
しようと考えます
こころは正しい方向性を
教えてくれますが
脳が都合よく
従わないように
するのです
- ひとは
目の前のことから
逃げるために
今の自分を知ろうとせずに
他人と比較して
都合よく
自分には必要ではないととしないと
考えるのです
- 神さまは
その人に足りないものを
あえて試練として
魂の成長のために与えます
だから
乗り越えられないものはなく
必ず乗り越えられる
ことができるのです
- もう一度伝えます
苦しいこと
つらいことで
悩むのは
相手と自分を
比較しているからです
自分が
優越感に浸りたいという
我の強さから
くるものです
あなたは相手の過去も
相手の悩みも
知りません
なのにどうして
比較をすることが
できますでしょうか
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