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またひとつの
お名前の中に
複数の神さま(または意思)が
存在していることなどがあります
それはよく
和魂、荒魂などと
言い伝えられていますね
神さまのお名前と
その存在は
必ずしも唯一無二
ということではありません
例えば
ひとつのお名前を
代々と引き継いでゆく
ということもあります
常世でこころが成長し
その神さまの神格に
値すればそのお名前を
引き継いでゆくというものです
- 史実で語られる神さま
いわゆる外神さまは
分け御霊が神社の
ご神体として宿されています
内神さまは
あなたのこころに
いらっしゃいます。
- われわれの
ひととして
生きる目的は
内なるこころ(魂)を
成長させ
内なるこころが
神さまであることに
気づくくことです
- この世では
こころを成長させるために
こころが神さまであることに
気づくために
善悪などの対極や
喜怒哀楽の感情により
すべてを体験
することができます
- ひとがなぜ生まれてくるのか
なんのために生きるのか
古来から問われ
続けられているテーマですが
答えは突き詰めるとひとつです
自分のこころに居る
神さまに気付くためです
わたしたちは
自分のこころに
神さまが居る事に気付けるまで
生まれ変わりを繰り返します
- 幸せとは意思のことです
自らの意思
気持ちで幸せにすることが
幸せになれるのです
幸せは与えられるものではなく
自らの意思です
自分で幸せと思うことで
幸せになれるのです
そして
不幸とは感情のことです
- 天津祝詞の冒頭にある
「高天原(たかあまはら)に
神留坐(かむづまり)ます~」の
高天原とは神様が
降りる場所という意味ですが
じつはいま、
自分のいる場所や
または自分のこころこそが
高天原なのです
つまり
神社に参拝した時は
その神社が
高天原であり
お家で祝詞を唱える時は
自分のこころこそが
高天原なのです
- 現在の神社とは
内なるこころが
神さまであることに
気づかない
ひとたちのために
こころの拠り所として
あるものです
- 遥か以前では
内なるこころが
神さまであるとしています
自らのこころが
神さまであるとしたことから
神社に祭られている
外神さまには
感謝の気持ちだけで
参拝方法は自由なのです
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